解説

1981年6月29日、東京の大手電気会社に勤めていた田中哲朗さんは、突然解雇される

田中哲朗さん。63歳。
30年前に毎朝のラジオ体操を拒否したために大手電機会社を解雇された。
それ以来、抗議のために会社の前で毎朝プロテストソングを歌い続けている。
携帯もない、インターネットもない、もちろんfacebookもない、
そんな時代からたったひとりで大きな力と闘ってきた。

会社による遠隔地への人事異動、いわゆる左遷人事に従わなかったことが主な原因であったが、
その背景には、会社の毎朝の日課として行われていた「ラジオ体操」の存在があった―。

マンドリンと解雇者支援

田中さんは会社のマンドリンクラブの部長として活動する傍ら、
会社の整理合理化によって大量解雇された1350人もの元従業員を支援する。

新しい社長を迎えた会社は、社員の意識改革の一環として大々的なリストラを敢行した後、
朝礼の一環としてラジオ体操を導入する。
しかも、それは給料が払われない始業前の時間に行われた。

彼にとって、ラジオ体操は従業員の忠誠心を試すもの以外の何ものでもなく、体操を断固拒否する。ラジオ体操が行われている間、彼は同僚・会社に対して批判的態度を示すため、その時間にひとり席に着き、ラジオ体操をする彼らをじっと見つめた。

そんなことを繰り返すうちに、彼の給料は次第に減額され、会社の同僚からも無視されるようになる。
親しくしていたマンドリンクラブの仲間も離れてしまい、クラブ自体が危険集団視されたため、新メンバーの加入もなかった。

度重なる嫌がらせと解雇

しかし、田中さんはそれにもひるまず、会社の方針・政策に対する批判を続け、職場の労働組合の役員選挙においても会社支持の候補と争う。
しびれを切らした会社は、彼に何百キロも離れた工場への異動命令を出すが、彼はそれを承服しなかった。
その結果、会社は彼を解雇する。

田中さんの"たった一人の"闘いは続く…

田中さんは解雇された翌日から勤務先の工場の正門前に立ち、
おそらく日本で最も長く続けている、たった一人の抗議活動が始まった。

その闘いは四半世紀、14人の総理大臣と3人の社長が交代した年月、を超えて、現在も続いている。

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2011年7月2日(土曜日)より新宿・K'sシネマにて