監督プロフィール

イマード・ブルナート
1971年生まれ。パレスチナ人のフリーランス・カメラマン、写真家。もともと農家であったが、四男の誕生を機にビリン村で撮影を始める。現在は、アルジャジーラ、イスラエルやパレスチナの放送局のために撮影を行い、ロイター通信社とも恒常的に仕事をしている。また、“Bil’in, My Love”、“Palestine Kids”、“Open Close”、“Interrupted Streams”等のドキュメンタリーにも映像を提供している。

ガイ・ダビディ
1978年イスラエル・ヤッファ生まれのフィルムメーカー、映画講師。16歳から映画の撮影、編集、監督を行い、カメラマンとしてフランス3の映画“Hamza”、“Journal D’une Orange”を撮影。また、“In Working Progress”、“Keywords”、“Women Defying Barriers”等、数々の短編ドキュメンタリーの監督を務め、世界中の映画祭で上映されている。2010年に初の長編映画“Interrupted Streams”を制作。


スタッフ
監督:イマード・ブルナート、ガイ・ダビディ
撮影:イマード・ブルナート
編集:ベロニカ・ラゴアルデ=セゴー、ガイ・ダビディ
撮影補助:イスラーイル・プテルマン、ガイ・ダビディ、
     ジョナサン・マセイ、アレクサンドル・ゴエテシュマン、
     シャイ・カルメニ・ポラック
音楽:トリオ・ジョーブラン
プロデューサー:クリスティン・カムデサス、セージ・ゴーディ、
        イマード・ブルナート、ガイ・ダビディ
製作:Alegria Productions、Burnat Films Palestine、Guy DVD Films


日本語字幕:平井かおり  字幕監修:田浪亜央江
協力:公益社団法人アムネスティ・インターナショナル日本、
   土井敏邦パレスチナ記録の会、
   パレスチナ・オリーブ、NPO法人パレスチナ子どものキャンペーン、
   パレスチナの平和を考える会、非戦を選ぶ演劇人の会、
   ミーダーン、NPO法人ユニ
後援:駐日パレスチナ常駐総代表部
配給:浦安ドキュメンタリーオフィス http://urayasu-doc.com


2011年/パレスチナ・イスラエル・フランス・オランダ/
アラビア語・ヘブライ語/カラー・白黒/デジタル/90分/ドキュメンタリー
http://urayasu-doc.com/5cameras





監督のことば            

イマード・ブルナート、ガイ・ダビディ
Emad Burnat, Guy Davidi

 この作品を作り始めた時には、私たちが一緒にやっているということを批判されると分かっていました。イマードはなぜイスラエル人と一緒に映画を作るのかと聞かれるでしょうし、ガイはなぜパレスチナ人と一緒にと聞かれるでしょう。私たち2人の違いは避けられないものでした。それぞれに異なる利点と複雑な問題を抱えており、それを建設的に利用するすべを学ばなければなりませんでした。結局は事態が複雑になることの方が多かったですが。2人の文化的背景、経験、世界へのアクセスのしやすさは異なり、またそれぞれのアイデンティティーから世間に期待されることも違いました。
 最終的にこの作品を作ることを決定した時、できるだけ親密で個人的なものにしようと考えました。この物語を新たな視点で感情的に語るにはそうするしかなかったのです。イマードにとっては分かりきった簡単な決断ではありませんでした。自分をさらけ出すことはうれしくもありますが、危険なことです。一方で、この作品はイマードの物語に焦点を置くべきだったので、映画におけるガイの役割は観客にとっては曖昧です。ガイはシラノ・ド・ベルジュラック(フランスの剣豪、詩人で哲学者という男の中の男)のようなものでしたが、実際、物語の語り手というものはそういうものです。表に立つのは登場人物たちであるべきです。
 観客の皆さんには広い心で、できるだけ先入観を持たずにこの作品を見ていただきたいと思います。これほど痛ましい紛争を扱った映画を見ると、人は心を閉ざしてしまいがちです。多くの人は世界を善と悪、パレスチナとイスラエルとに分けて一瞬で自分の立場を決めてしまいます。その立場はそれぞれのアイデンティティーや、経験、イデオロギーに基づくものです。理由はどうあれ、そのような忠誠心は多くの場合、感情的に広い心で世界を経験し、行為の本当の影響を理解することを犠牲にして成り立っています。現実はすばらしく複雑で、それが美しいのです。人々がその現実を絞り込むために戦い、1つか2つのフィルターだけを通して現実を見ようとすることに私たちはいらだちを覚えます。
 『壊された5つのカメラ-パレスチナ・ビリンの叫び』は、人々の人生に刺激を与えるために作りました。人生は政治論の中でのみ解釈されるのではなく(もちろんそれも大事な部分ではありますが)、別の面があります。私たちはこの作品を真摯に自発的に制作し、できるだけ型にはまることや罠に陥ることを避け、自分たちの先入観や見解に挑戦しました。最後に、映画をご覧になった後に皆さんが広い心を持ってお帰りになれますように。